「いつから、行政書士(士業)として生きていく覚悟ができましたか?」
先日、当事務所で補助者をしてくれている青年から仕事中の雑談で問われたので少し書いてみたいと思う。
青年はまだ若干25歳だ。僕はというと、早くも40歳(執筆現在)であるから、27歳で開業したときからすでに13年近く経っていることになる。25歳といえば、僕は行政書士試験に合格してまもなく、大学生時代から勤務していた司法書士業界を離れ、都内の行政書士法人で初めて許認可実務の仕事をしていた頃であるが、右も左もわからない、たとえば建設業許可の人的要件の1つ「経営業務の管理責任者」の経験確認資料について、チェックするだけで目が回っていた時期だ。
当時は、「許認可の仕事って、ものすごい紙を使うし、地味で細かい仕事だな。」と思った。膨大な書類に囲まれ、キャリーバックで役所に運び、面前で審査をされてドキドキそわそわする。申請が受理されるまで帰ってくるなくらいの勢いだったから、1回1回が試合のような気持ちだった。決して細かいことに気を配れる性格ではなかったから、仕事で何度も失敗し先輩に迷惑をかけるなかで、やはり、「行政書士ではやっていけないのではないか?」と考えることも少なくなかった。
当然、将来のことなどわからなかった。このままずっと仕事をしていて、生活していけるんだろうか。福利厚生の充実した企業に就職した方が良かったのだろうか。結婚とか子供とか家とかいつかは考えるんだろうか。そもそも開業するのだろうか?開業したとして、食っていけるんだろうか。やはり他にも資格を取得した方がいいのではないか?結局、「仕事は楽しいけど、なんか不安」という漠然とした毎日を過ごした。
それから数年たったある朝、所長に呼ばれた。
「村瀬くん、実は今月で行政書士部門を閉鎖しようと思う。今後は、司法書士部門のマンション登記担当として働いてくれ。」
当時はリーマンショックの影響で、司法書士業界では選択と集中という言葉が飛び交っていた。その流れで当時勤めていた事務所も様々な体制変更を強いられていた。27歳の自分にとっては、また無資格の状態で補助者になることは不安が大きかった。それよりも、せっかく取得した資格を使ってこのまま仕事をしたいと思った。ただ、1つ問題があった。それは、あと5ヶ月もすれば、自分に第一子が生まれてくるというタイミングだったからだ。それでも、気づいたら次の言葉を発していた。
「今後のことを考えて、僕は行政書士の仕事を続けたいと思います。なので、今月末で退社します。」
誰に相談するでもなく、あと5ヶ月で第一子が生まれてくるタイミングで事務所を辞め、行政書士で開業しようかなと言うものだから、親戚含め、周囲の誰もが大反対した(今考えても当たり前である)。27歳の小僧が、いきなり行政書士法人・司法書士法人を辞め、行政書士で開業するというのだから。ただ、当時の自分からすれば、27歳でまた転職活動をするよりも、生まれてくる子のためには早い段階で動くべきだと直感的に感じていたから、もう引き下がることはしなかった。
開業してからも、熾烈を極めた。思ったように営業ができない、思ったような申請書類一式ができない、思ったようなサービスを提供できない。時には、深夜3時4時まで資料を読み漁り、1人で悩むことも少なくなかった。人間、お金や睡眠時間が減りすぎるとちょっとメンタルが弱くなる。ちょうど開業して半年くらい経った頃、深夜1人で家に帰りながら、やはり開業には向いていない性格なのかもしれないな、開業なんてのは限られたエリートだけがうまくいく選択なんだろうな、と思っていた。家に着くころには、「よし、このまま細々とギリギリの生活、開業者としての活動を続けるのは辞めよう。もう、疲れた。」と考えていた。
深夜の自宅は真っ暗で、朝にも別の生き方をすることを宣言しようとしていたのだか、電気をつけるとちょうどそこに、ベビーベッドに寝ている第一子(長男)の姿があった。小さい赤子の寝顔をまじまじと見ながら、「あぁ、こいつは俺がちゃんとしないと、生きていけないよなぁ」と実感したものである。青年に聞かれた「いつから覚悟ができましたか?」に強いて答えるならば、この瞬間かもしれない。
つまり、それまでは「自分のために仕事をする」という考え方だったのだか、その瞬間から、「この子のために頑張る」という意識に変わった。また、それまでは「許認可の仕事をする」、「書類をつくる」、「役所と折衝する」、それが仕事だと思っていたが、もっとも重要な仕事は、「依頼者の方のために動くこと」だと意識づけが変わった。だから、この考え方には賛否あるかもしれないけれども、45,000人(当時)いる行政書士の中から、自分を選んでくれた依頼者のために、全てを尽くす、全力で応える、応えられる事務所でありたい、と思うようになった。
自分の場合は、自分自身のためならそこそこ頑張れるが、他人のためならもっと頑張ろうとする、という性格にも気づいた(つまりは、自分に甘いということでもあるかもしれないが)。
20代の青年も、今は悩むかもしれない。むしろ、悩みに悩んだ方がいいかもしれない。とことん考えるのが重要な時期は間違いなくある。漠然とした不確定要素があると、常に不安がつきまとうものである。ただ、案外やってみると、やり続けていくと、そのうち全体感がみえてきて、いろんな正体がみえてきて、楽しさや充実が勝るタイミングがやってくる。そのタイミングは、決して運などではなく、自分たちでひきつけるものだと考えている。もう少し具体的にいえば、自分などを頼ってくれる人たちが増えてくる。そういう人たちのために、どんなボールでも打ち返せるだけの許認可実務に関する知識・経験を、絶対的な武器を身につけることができるかどうか。
「もう辞めよう」という選択肢をいったん捨てて、とことんこだわって仕事してみる。スキャンが少しでもズレたら気持ち悪い!と思うくらい、機微にこだわる。そういう一生懸命な仕事ができる面々が集まった環境なら、いつかそのうち、必ずタイミングはやってくる。
40歳にもなると、話が長くなっていかん。今日もまた1日を精一杯生きよう。